2011年02月17日
故郷だより 25
前略 木の実さま
またまた久しぶりで悪かったな。
元気の様子はメールでしか解からないが
「便りが無いのは、元気な証拠」って言うくらいだから心配はしないよ。
しかし、今年の冬は寒い!!東京も雪が降ったらしいな。
まあ、我が北相木は大雪だったがな。
おかげで雪に埋まった我が家になってしまったよ。

今年も立派な「おかがり」ができて良いドンド焼きになったし

白岩の若者が二組も結婚したし、赤ちゃんもできたんだ。
子供が増えるのは活気がそれだけであふれて来る。
ちいさな地域は小さなことでも幸せになれるんだぜ。
それから久しぶりに冷えたから「三滝山」の氷柱が立派に育ったよ!!
雪にそびえ立つ氷柱はやはり見事だぜ。

今年の「三滝祭り」は盛り上がるだろうな。ちなみに二月二十日(日)に行われる。

まだまだ、寒い日々が続きますが身体を大切に良い音楽を生んで下さい。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
またまた久しぶりで悪かったな。

元気の様子はメールでしか解からないが
「便りが無いのは、元気な証拠」って言うくらいだから心配はしないよ。

しかし、今年の冬は寒い!!東京も雪が降ったらしいな。
まあ、我が北相木は大雪だったがな。
おかげで雪に埋まった我が家になってしまったよ。

今年も立派な「おかがり」ができて良いドンド焼きになったし

白岩の若者が二組も結婚したし、赤ちゃんもできたんだ。
子供が増えるのは活気がそれだけであふれて来る。
ちいさな地域は小さなことでも幸せになれるんだぜ。
それから久しぶりに冷えたから「三滝山」の氷柱が立派に育ったよ!!

雪にそびえ立つ氷柱はやはり見事だぜ。

今年の「三滝祭り」は盛り上がるだろうな。ちなみに二月二十日(日)に行われる。

まだまだ、寒い日々が続きますが身体を大切に良い音楽を生んで下さい。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2010年11月24日
故郷だより 24
前略 木の実さま
すっかりご無沙汰してしまいましたね。
「おとう」もいろいろ頭を悩ます事が多く、チョット疲れてしまって・・・・・。
まあ、この年になると体も心も弱ってきてしまうのかな。
しかし、心配はしなくてもいいよ、
季節も変わり目も過ぎしっかりと冷え込んでくれば、身体も心もシャッキットするから。


東京の秋は綺麗だろ!!街路樹の紅葉は見事だからね。
それから「夕焼け」 この時期の東京の夕焼けはとびきり綺麗なんだよな。
「おとう」がよく眺めたところは、代官山の「西郷山公園」と中央線の高架のホームだ。
とくに「阿佐ヶ谷」のホームからみる夕焼けは最高だった。
何故東京の夕焼けが綺麗かというと、皮肉なことに公害の基であるスモッグがあるからなんだ。
東京(23区)の空にはスモッグドームっていうのでつつまれていて、
このドームにさえぎられた夕陽の光がみごとにグラデーションして東京を丸く包んでしまうんだ。
まあ、言ってみれば「人工美」だな。
「三丁目の夕陽」とは時代が違うので又違った美しさがあると思う。
「東京には星があるとお前は言っていた。ネオンという星があるとお前は言っていた」
誰かが書いた曲の一説だけども、今じゃ「ネオン」どころじゃなくて
星屑よりも多くの街の明かりが輝き、本当の星屑なんて見えないもんな。
それとくらべて我が村はどうだ!!
今夜も天空には「天の川」が広がり、オリオンは大きく裾野を広げている。
真上には昴、北には北斗七星・・・・UFOかな??と思えば人工衛星だって見える。
堂々たる「天然美」だな。
どちらもきっと素敵だと思うけど、この「天然美」だけは失いたくないね。

もうすっかり葉を落としてしまった木々は冬の眠りについてしまったよ。
人間も冬眠できればもう少し長生きできそうだけどな。
「枯葉」という有名なスタンダード(本当はシャンソン)を聞いた事があると思うけど
ありゃ街の歌だな。山里のイメージではないな。
考えて見ると童謡や唱歌には田舎や山里をテーマにした曲はあるけれど
最近のポップスはほとんが街歌だな。
田舎での「恋歌」ではさまにはならないか・・・・・。
「青い山脈」なんていい歌があるんだけどね。
木の実よ・・・君は夕陽をみて何を考えているんだろう「故郷」のことを思い出したりしているのだろうか。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
すっかりご無沙汰してしまいましたね。

「おとう」もいろいろ頭を悩ます事が多く、チョット疲れてしまって・・・・・。
まあ、この年になると体も心も弱ってきてしまうのかな。
しかし、心配はしなくてもいいよ、
季節も変わり目も過ぎしっかりと冷え込んでくれば、身体も心もシャッキットするから。


東京の秋は綺麗だろ!!街路樹の紅葉は見事だからね。
それから「夕焼け」 この時期の東京の夕焼けはとびきり綺麗なんだよな。
「おとう」がよく眺めたところは、代官山の「西郷山公園」と中央線の高架のホームだ。
とくに「阿佐ヶ谷」のホームからみる夕焼けは最高だった。
何故東京の夕焼けが綺麗かというと、皮肉なことに公害の基であるスモッグがあるからなんだ。
東京(23区)の空にはスモッグドームっていうのでつつまれていて、
このドームにさえぎられた夕陽の光がみごとにグラデーションして東京を丸く包んでしまうんだ。
まあ、言ってみれば「人工美」だな。
「三丁目の夕陽」とは時代が違うので又違った美しさがあると思う。
「東京には星があるとお前は言っていた。ネオンという星があるとお前は言っていた」
誰かが書いた曲の一説だけども、今じゃ「ネオン」どころじゃなくて
星屑よりも多くの街の明かりが輝き、本当の星屑なんて見えないもんな。
それとくらべて我が村はどうだ!!
今夜も天空には「天の川」が広がり、オリオンは大きく裾野を広げている。
真上には昴、北には北斗七星・・・・UFOかな??と思えば人工衛星だって見える。
堂々たる「天然美」だな。
どちらもきっと素敵だと思うけど、この「天然美」だけは失いたくないね。

もうすっかり葉を落としてしまった木々は冬の眠りについてしまったよ。
人間も冬眠できればもう少し長生きできそうだけどな。
「枯葉」という有名なスタンダード(本当はシャンソン)を聞いた事があると思うけど
ありゃ街の歌だな。山里のイメージではないな。

考えて見ると童謡や唱歌には田舎や山里をテーマにした曲はあるけれど
最近のポップスはほとんが街歌だな。
田舎での「恋歌」ではさまにはならないか・・・・・。
「青い山脈」なんていい歌があるんだけどね。
木の実よ・・・君は夕陽をみて何を考えているんだろう「故郷」のことを思い出したりしているのだろうか。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2010年08月10日
故郷だより23
前略 木の実さま
「暑中お見舞い申し上げます」
どうだ東京は暑いだろ!!
それに比べて、我が北相木はじつに清々しいぞ。
昼間はカラット晴れ渡り、夜はヒヤッとするほど涼しい。
「おかあ」に聞いたんだけれど、8月15日に行われる、成人式には出席しないんだってな・・・・
まあ、それもいいだろう「おとう」も東京での成人式にはアルバイトで出席しなかったから
君にどうのこうのとは言えねえな。
それでも「成人!!おめでとう」。ここまで無事に育ってくれた・・・
それだけで「おとう」は満足だ。
そうだ北相木にも最近「道の駅」とはチョット違うが
「小路のベンチ」というくらいの「北相木の特産物販売所」ができたんだ。

地元のとれたて野菜や花・果物が並んでいる。


他にも地元産の加工食品や手工芸品もあって、結構「おみあげ」には
便利な販売所になっているよ。
「すず」で編んだ籠なんて見事な物で、ありゃ東京のデパートで買えば
1万円はするくらいのものが4千円で売っているし、はぎれを編みこんだ「草履」
「おとう」ももっているけど、夏は汗を吸ってくれて、最高に履きやすい優れもんだ。
色合いも「田舎らしくてモダンでいい」
これは人気商品だから早めにゲットしなければすぐに売れてしまう。
それから昨年から休耕田や道路わきに「ひまわり」を沢山植えたんだ。

今年は今が盛りのように我が村を黄色に染めている。
そのひまわりの種からとった「ひまわり油」が結構美味い。これも時期になれば販売所で売られる。

「ひまわりのロード」・・・・・う~・・・「ひまわり街道」・・・・なんかありそうなネーミングだけど
まあ、君が暮らしていた頃より少し変わってきた我が北相木になっているよ。
地域の人達が「なんとかせにゃ」と立ち上げはじめた「特産物販売所」や「ひまわり運動」なんでもいい、
とにかく「始める事」これが大切なんだ。
地域活性化の本筋は「地域の中で、地域の人が、地域のために、地域作りを成す」
そとからの力ではなく「地域自身」が動き出す。これが大切なんだと思う。
「限界集落」なんていう地域外の揶揄には決して潰されない地域づくり・・・・
まだ始まったばかりだけど、地域の人が本気で地域を見つめなおし始めている。
これらが各地で成功を成せば、日本の根幹がしっかりしていくはずなんだ。
「脱・迷える日本」 日本と言う国を変えていくのは「地域社会」に活力を与え、元気な地域を
増やせば、本当の意味で「日本国」が立ち上がると思うね。
いややや・・・・・また「おとう」の遠吠えを言っちゃたけど、まだまだ「おとう」は吼え続けるぞ!!
8月14日には北相木村の観光施設「長者の森」で夏のフェステバルが行われる。

ここには近隣にも誇れる「野外ステージ」があって、このステージをメインに祭りを盛り立てていくんだ。
地元の太鼓チームやフォークデュオ・それに東京からこの村に合宿している高校生の
吹奏楽部の演奏なども、森の中で味わえて、夏の暑さも忘れ「癒される」空間になると思うよ。
そして今年から来場してくださったお客さんのために「大抽選会」も用意されている。
盛だくさんの景品をゲットしてください。
まだまだ暑さが続きますが、健康な毎日を送れるように心を鍛えて下さい。
残念なのは又1人「おとう」世代の文化を引っ張ってきてくれた「今野雄二」さんが逝ってしまった。
またまた、昭和の時代が遠くなっていくな。
今週は昭和の歌をききまくるぞ~~~
まずは「はっぴーえんど」の「夏なんです」から始めようか。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
「暑中お見舞い申し上げます」


それに比べて、我が北相木はじつに清々しいぞ。

昼間はカラット晴れ渡り、夜はヒヤッとするほど涼しい。
「おかあ」に聞いたんだけれど、8月15日に行われる、成人式には出席しないんだってな・・・・
まあ、それもいいだろう「おとう」も東京での成人式にはアルバイトで出席しなかったから
君にどうのこうのとは言えねえな。
それでも「成人!!おめでとう」。ここまで無事に育ってくれた・・・
それだけで「おとう」は満足だ。
そうだ北相木にも最近「道の駅」とはチョット違うが
「小路のベンチ」というくらいの「北相木の特産物販売所」ができたんだ。

地元のとれたて野菜や花・果物が並んでいる。



他にも地元産の加工食品や手工芸品もあって、結構「おみあげ」には
便利な販売所になっているよ。
「すず」で編んだ籠なんて見事な物で、ありゃ東京のデパートで買えば
1万円はするくらいのものが4千円で売っているし、はぎれを編みこんだ「草履」
「おとう」ももっているけど、夏は汗を吸ってくれて、最高に履きやすい優れもんだ。
色合いも「田舎らしくてモダンでいい」
これは人気商品だから早めにゲットしなければすぐに売れてしまう。
それから昨年から休耕田や道路わきに「ひまわり」を沢山植えたんだ。

今年は今が盛りのように我が村を黄色に染めている。
そのひまわりの種からとった「ひまわり油」が結構美味い。これも時期になれば販売所で売られる。

「ひまわりのロード」・・・・・う~・・・「ひまわり街道」・・・・なんかありそうなネーミングだけど
まあ、君が暮らしていた頃より少し変わってきた我が北相木になっているよ。
地域の人達が「なんとかせにゃ」と立ち上げはじめた「特産物販売所」や「ひまわり運動」なんでもいい、
とにかく「始める事」これが大切なんだ。
地域活性化の本筋は「地域の中で、地域の人が、地域のために、地域作りを成す」
そとからの力ではなく「地域自身」が動き出す。これが大切なんだと思う。
「限界集落」なんていう地域外の揶揄には決して潰されない地域づくり・・・・
まだ始まったばかりだけど、地域の人が本気で地域を見つめなおし始めている。
これらが各地で成功を成せば、日本の根幹がしっかりしていくはずなんだ。
「脱・迷える日本」 日本と言う国を変えていくのは「地域社会」に活力を与え、元気な地域を
増やせば、本当の意味で「日本国」が立ち上がると思うね。
いややや・・・・・また「おとう」の遠吠えを言っちゃたけど、まだまだ「おとう」は吼え続けるぞ!!
8月14日には北相木村の観光施設「長者の森」で夏のフェステバルが行われる。

ここには近隣にも誇れる「野外ステージ」があって、このステージをメインに祭りを盛り立てていくんだ。
地元の太鼓チームやフォークデュオ・それに東京からこの村に合宿している高校生の
吹奏楽部の演奏なども、森の中で味わえて、夏の暑さも忘れ「癒される」空間になると思うよ。
そして今年から来場してくださったお客さんのために「大抽選会」も用意されている。
盛だくさんの景品をゲットしてください。
まだまだ暑さが続きますが、健康な毎日を送れるように心を鍛えて下さい。
残念なのは又1人「おとう」世代の文化を引っ張ってきてくれた「今野雄二」さんが逝ってしまった。
またまた、昭和の時代が遠くなっていくな。
今週は昭和の歌をききまくるぞ~~~
まずは「はっぴーえんど」の「夏なんです」から始めようか。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2010年06月09日
故郷だより 22
前略 木の実さま
我が北相木村は新緑の季節を迎えています。
今年は寒さが長引き、あたたかくなるのを見計らったように
一斉に桜・モモ・雪柳・・・・などの花が咲き始めました。
こういう年は花の咲く日にちは短く、3~4日で散り始めてしまいましたね。

遅霜にもやられ、花だけではなく農産物にも影響を及ぼしています。

「お天道様には勝てねえな・・・」
いつもながら、農民の言葉は真実を言い当てて重たいです。
「山と共に、土と共に」日常を暮らしてきている「田舎人」には
どこかの国のお偉いさん達の「エコなんとか」なんて机上の空論でしかないと思うのでは。
子供達の農林業体験は大変有意義なことですが、もっと有意義で必要なことは
そのお偉いさん達がたとへ半年でもいいから農林業体験を積み
国の根幹を身体に植えつけ、苦労を感じてほしいものですね。
また「頑固オヤジの言いたい放題」を書いてしまいました。
東京に暮らしていると、君が子供の時期に体験した素晴らしい出来事を
忘れてしまうことが「おとう」は残念に思うんだ。
君だけではなく地方から東京へ向かった若者達の中に大切に養われた「田舎暮らし」が
東京という「マトリックス」の中では活かされず、失われてゆく・・・・・実にもったいない。
この国の将来が心配ですね。
物を作ることは「積み重ねる」・・・これの繰り返しなんだよ。
コンビニやファストフードで簡単で便利に手にいれられる物達。
都会(日本)ではごく普通な日常だけれども、実はほんのごく一部の人間だけの特権なんだ。
一握りの米もコップ一杯の水さえも満足に手に入らない人達が世界には沢山いることを知って欲しい。
つい半世紀前の我が国だって毎日の食べるものや生活に困窮していた時代があったんだ。
それらを乗り越えてきたのが「こつこつと、積み重ねる」物作りだったり、農業だったんだ。
しかし、この五十年で日本人は「便利で合理的な生活」を求める為に、
この「こつこつと・・・・」の精神を忘れてきてしまった。
その結果が今の「迷える日本」だ。

木の実よ、君は18年間、我が村で育ち、毎日の生活のなかで地域の人達が送る日々の暮らし方を
見てきたはずだ。
雪解けと共に山や畑に入り、これから始まる一年間のために丁重に自然への手入れを怠らない。
野山が春のやわらかさを感じ始める頃、畑には苗が植えられる。毎日「こつこつ」とね。
「田舎人」は自然には逆らわないことを身をもって体験し、自然と共に暮らす術を学び得とくしている。
これらも「こつこつと・・・」が心構えだ。
決して忘れてはいけないよ「積み重ねる大切さ」
決して流されてはならないよ「こつこつと、生きる術」

我が村は今日も晴れ渡り、畑には丈夫に育ってきた作物が元気に天を仰いでいる。
これからが忙しい時期に入る。しかし、「田舎人」は急がない、
日々「こつこつ」を積み重ね自然の都合に全てを任せる。
「おとう」もこの境地に仲間入りできるように日々精進しているが・・・・・多いに反省もあるけどね。
春というか初夏の昼下がりには「ビル・エバンス」がいい。
眩しい緑の中をピアノが染みとおる。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
我が北相木村は新緑の季節を迎えています。
今年は寒さが長引き、あたたかくなるのを見計らったように
一斉に桜・モモ・雪柳・・・・などの花が咲き始めました。
こういう年は花の咲く日にちは短く、3~4日で散り始めてしまいましたね。

遅霜にもやられ、花だけではなく農産物にも影響を及ぼしています。

「お天道様には勝てねえな・・・」
いつもながら、農民の言葉は真実を言い当てて重たいです。
「山と共に、土と共に」日常を暮らしてきている「田舎人」には
どこかの国のお偉いさん達の「エコなんとか」なんて机上の空論でしかないと思うのでは。
子供達の農林業体験は大変有意義なことですが、もっと有意義で必要なことは
そのお偉いさん達がたとへ半年でもいいから農林業体験を積み
国の根幹を身体に植えつけ、苦労を感じてほしいものですね。
また「頑固オヤジの言いたい放題」を書いてしまいました。
東京に暮らしていると、君が子供の時期に体験した素晴らしい出来事を
忘れてしまうことが「おとう」は残念に思うんだ。
君だけではなく地方から東京へ向かった若者達の中に大切に養われた「田舎暮らし」が
東京という「マトリックス」の中では活かされず、失われてゆく・・・・・実にもったいない。
この国の将来が心配ですね。
物を作ることは「積み重ねる」・・・これの繰り返しなんだよ。
コンビニやファストフードで簡単で便利に手にいれられる物達。
都会(日本)ではごく普通な日常だけれども、実はほんのごく一部の人間だけの特権なんだ。
一握りの米もコップ一杯の水さえも満足に手に入らない人達が世界には沢山いることを知って欲しい。
つい半世紀前の我が国だって毎日の食べるものや生活に困窮していた時代があったんだ。
それらを乗り越えてきたのが「こつこつと、積み重ねる」物作りだったり、農業だったんだ。
しかし、この五十年で日本人は「便利で合理的な生活」を求める為に、
この「こつこつと・・・・」の精神を忘れてきてしまった。
その結果が今の「迷える日本」だ。

木の実よ、君は18年間、我が村で育ち、毎日の生活のなかで地域の人達が送る日々の暮らし方を
見てきたはずだ。
雪解けと共に山や畑に入り、これから始まる一年間のために丁重に自然への手入れを怠らない。
野山が春のやわらかさを感じ始める頃、畑には苗が植えられる。毎日「こつこつ」とね。
「田舎人」は自然には逆らわないことを身をもって体験し、自然と共に暮らす術を学び得とくしている。
これらも「こつこつと・・・」が心構えだ。
決して忘れてはいけないよ「積み重ねる大切さ」
決して流されてはならないよ「こつこつと、生きる術」

我が村は今日も晴れ渡り、畑には丈夫に育ってきた作物が元気に天を仰いでいる。
これからが忙しい時期に入る。しかし、「田舎人」は急がない、
日々「こつこつ」を積み重ね自然の都合に全てを任せる。
「おとう」もこの境地に仲間入りできるように日々精進しているが・・・・・多いに反省もあるけどね。
春というか初夏の昼下がりには「ビル・エバンス」がいい。
眩しい緑の中をピアノが染みとおる。
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2010年04月14日
故郷だより 21
前略 木の実さま
無事卒業おめでとう!!
これで君は家からも、学校からも開放されるね。
しかし、この開放は決して楽な道ではなく、厳しい世の中への旅立ちです。

父も母も好きだからという選択で選んだ音楽への道・・・・
振り返れば東京での音楽生活は、良い思い出ばかりとなりましたが
つらいことが多かったような気もしますね。
常に真剣に音楽に立ち向かい、努力を重ねて仕事をしていました。
音楽・・・とくにミュージシャンは優れた人達が周りには沢山いて切磋琢磨で腕やセンスをみがいていなければ、
あっというまに誰かに仕事をもっていかれてしまいますよ。
だって代わりは大勢いるんだからね。
まあ、父も母も「運」がよかったのか、
良い仕事に恵まれ東京での音楽生活はまずまずの出来だったんじゃないかな。
「運」も実力の内だからね。
あえて厳しい事を繰り返すけど、気をぬいたり、諦めたりしたら
この世界では食べてはいけないよ。
日々の努力と「運」をつかむ為の環境作り。
「好きだ」という言葉の持つモチベーションは魔法のように自分を高めていくんだ。
君が選んだ「好きな道」をしっかりと歩みなさい。

そうそう、「太陽」が無事目指す大学に
合格
して、
今月から東京生活に入ったんだぜ。
彼のことだから常にマイペースで好きな勉学に没頭していくんだろうね。
それも彼の「生きる道」だからね。
そして「花梨」も高校生になりましたよ。
遠い街まで通学しているので、
君と同じで帰ってくるなりソファーで昼寝というか「夕寝」しています。
なれない事ばかりで疲れているんだろうね。
そんなわけで今は親子三人だけの家になってしまいましたね。
こんなに我が家は広くて静かだったんのかな。
そのうちに「花梨」も家を出て、「おかあ」と二人だけになっちゃんだな。
新婚生活から二人ではなかったんだぜ
「ペニー」が「おかあ」よりも先に「おとう」暮らしていたからな。

そしてアッというまに君が生まれて・・・・
しかし、考えてみると二人だけの生活がしばらくするとやってくるんだ・・・・。
う~~~また犬でも飼うか。
それともまた音楽の世界へ舞い戻るかな。
音楽には年齢制限も定年もないからね。
あっそうだ「おかあ」はとっくに音楽の世界へ戻りつつあるんだ
地元のJAZZバンドに参加して今日も練習に行ってるんだ。
「おとう」もまた作詞でも始める事にするかな。
でも最近は「演歌」っぽくなっちゃうんだよね。
年のせいかな・・・・
でも音楽は一生もんだから、焦らずにやって行く事だね。
頑張りたまえ!!
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
無事卒業おめでとう!!

これで君は家からも、学校からも開放されるね。
しかし、この開放は決して楽な道ではなく、厳しい世の中への旅立ちです。


父も母も好きだからという選択で選んだ音楽への道・・・・
振り返れば東京での音楽生活は、良い思い出ばかりとなりましたが
つらいことが多かったような気もしますね。

常に真剣に音楽に立ち向かい、努力を重ねて仕事をしていました。
音楽・・・とくにミュージシャンは優れた人達が周りには沢山いて切磋琢磨で腕やセンスをみがいていなければ、
あっというまに誰かに仕事をもっていかれてしまいますよ。
だって代わりは大勢いるんだからね。
まあ、父も母も「運」がよかったのか、
良い仕事に恵まれ東京での音楽生活はまずまずの出来だったんじゃないかな。
「運」も実力の内だからね。

あえて厳しい事を繰り返すけど、気をぬいたり、諦めたりしたら
この世界では食べてはいけないよ。
日々の努力と「運」をつかむ為の環境作り。
「好きだ」という言葉の持つモチベーションは魔法のように自分を高めていくんだ。
君が選んだ「好きな道」をしっかりと歩みなさい。


そうそう、「太陽」が無事目指す大学に


今月から東京生活に入ったんだぜ。
彼のことだから常にマイペースで好きな勉学に没頭していくんだろうね。
それも彼の「生きる道」だからね。
そして「花梨」も高校生になりましたよ。
遠い街まで通学しているので、
君と同じで帰ってくるなりソファーで昼寝というか「夕寝」しています。
なれない事ばかりで疲れているんだろうね。
そんなわけで今は親子三人だけの家になってしまいましたね。
こんなに我が家は広くて静かだったんのかな。
そのうちに「花梨」も家を出て、「おかあ」と二人だけになっちゃんだな。
新婚生活から二人ではなかったんだぜ
「ペニー」が「おかあ」よりも先に「おとう」暮らしていたからな。

そしてアッというまに君が生まれて・・・・

しかし、考えてみると二人だけの生活がしばらくするとやってくるんだ・・・・。
う~~~また犬でも飼うか。
それともまた音楽の世界へ舞い戻るかな。
音楽には年齢制限も定年もないからね。
あっそうだ「おかあ」はとっくに音楽の世界へ戻りつつあるんだ
地元のJAZZバンドに参加して今日も練習に行ってるんだ。
「おとう」もまた作詞でも始める事にするかな。
でも最近は「演歌」っぽくなっちゃうんだよね。
年のせいかな・・・・

でも音楽は一生もんだから、焦らずにやって行く事だね。
頑張りたまえ!!
父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2010年01月26日
故郷だより 20
前略 木の実さま
「あけましておめでとう。」

今年の正月は一日の朝から雪
でした。
白岩区民は特に変わった事も無く、平和に新年を迎えることができましたよ。
新年会には相変わらずの顔が揃い、お互いの健康や無事を確かめ合い
多いに「お神酒」をいただきました。(笑)
この「相変わらず」が非常に大切なことなんです。
現在、集まっているメンバーが一人でもかけていく事の寂しさ、刹那さ・・が募るからです。
「おとう」がここに暮らし始めて24年、ずいぶんと顔見知りの数が減ってしまいました。
ですから、地区の将来に厳しさを痛感してしまうほど、この「相変わらず」
が大切なことんなんです。
ここ白岩地区80名が今年は一人もかけていかない事を心から願うんです。
明るい話もあるんだよ。
一昨年、わが白岩地区に暮らし始めたご夫婦に待望の赤ちゃんができました。
四月には四年ぶりに白岩地区から赤ちゃんの鳴き声が聞こえるんですね。
「あかがいる部落は、にぎやかだいな」
お年寄りをはじめ、みんなが久しぶりに生まれてくる子供を待ち望んでいます。
どこかの政治家が「子供は国の宝」・・・・・なんて実感のないスピーチを聞いているよりも
地区に暮らすお年寄りのこの言葉の重さの方が現実的で美しい感性ですね。
子供は地区の宝・・・そして未来なんですから。
勿論、君が生まれた時も地区のみんなが祝ってくれました。
そして大事にもしていただきました。このことは決して忘れてはいけないよ。
それから、今年は一月十一日に「どんど焼き」をしました。

毎年この火の粉を浴びないと年が明けない気がしますね。
昔は何度もやったそうですが、現在は一年に一度になってしまいました。
だからというわけでもないけれど、「今年は手間がかかるから小さめにつくるべや」と
いいながら朝から作り始めるのですが
「向こう山にも樅の木がまだある」とか「松はあそこにまだ積んである」
しまいには「もっと竹を切ってこいや」
「どうせやるなら、威勢がいいほうがいいやい」ってことになり
結局は大掛かり物となり、昨年よりも大きい「おかがり」が出来上がってしまいます。

「お~~~!今年のはでかいや」だもの・・・・・・。
前年よりも小さめのものができるのは、いつのことやら(大笑)
いい大人が集まって「わいわい、がやがや」「あ~だの、こ~だの」
実に微笑ましい一日を小正月に味わえます。本当に幸せですね。
そして「三滝祭り」が二月二十日と二十一日に行われます。

今年はなぜ二日間かというと「本祭り」は二十一日ですけど
前日の夜に「三滝の氷柱のライトアップ」を計画しています。
参道を氷のキャンドルで導き、30mの「氷柱」にライトを照らす!!
考えただけでも感動しますぞ。
そうそう、このブログを書かせていただいている「NBSさん」も
テレビ取材でこの幽玄的なライトアップをぜひカメラに収めていただきたいですね。
お待ちしております。
木の実よ
また一人、おとうが敬愛するアーティストが亡くなってしまったよ。

「浅川マキ」さんだ。
学生運動の嵐が吹きぬけた68年~72年ごろ、機動隊や公安に
追い回せれて、おとうが逃げ込んだ新宿の歌舞伎町。
この歌舞伎町を根城に活躍していたアングラの女王「浅川マキ」。
いつも全身黒ずくめで「ブルース」を唄っていた。
当時はアンダーグラウド文化が新宿あたりから生まれてきた頃で
「かもめ」って歌が少しはヒットしたかな・・・・
こういう歌も日本人は歌ってきたんだってことを学ぶ為に聞いてごらん。
「あけましておめでとう。」

今年の正月は一日の朝から雪

白岩区民は特に変わった事も無く、平和に新年を迎えることができましたよ。
新年会には相変わらずの顔が揃い、お互いの健康や無事を確かめ合い
多いに「お神酒」をいただきました。(笑)
この「相変わらず」が非常に大切なことなんです。
現在、集まっているメンバーが一人でもかけていく事の寂しさ、刹那さ・・が募るからです。
「おとう」がここに暮らし始めて24年、ずいぶんと顔見知りの数が減ってしまいました。
ですから、地区の将来に厳しさを痛感してしまうほど、この「相変わらず」
が大切なことんなんです。
ここ白岩地区80名が今年は一人もかけていかない事を心から願うんです。

一昨年、わが白岩地区に暮らし始めたご夫婦に待望の赤ちゃんができました。
四月には四年ぶりに白岩地区から赤ちゃんの鳴き声が聞こえるんですね。
「あかがいる部落は、にぎやかだいな」
お年寄りをはじめ、みんなが久しぶりに生まれてくる子供を待ち望んでいます。
どこかの政治家が「子供は国の宝」・・・・・なんて実感のないスピーチを聞いているよりも
地区に暮らすお年寄りのこの言葉の重さの方が現実的で美しい感性ですね。
子供は地区の宝・・・そして未来なんですから。
勿論、君が生まれた時も地区のみんなが祝ってくれました。
そして大事にもしていただきました。このことは決して忘れてはいけないよ。
それから、今年は一月十一日に「どんど焼き」をしました。

毎年この火の粉を浴びないと年が明けない気がしますね。
昔は何度もやったそうですが、現在は一年に一度になってしまいました。
だからというわけでもないけれど、「今年は手間がかかるから小さめにつくるべや」と
いいながら朝から作り始めるのですが
「向こう山にも樅の木がまだある」とか「松はあそこにまだ積んである」
しまいには「もっと竹を切ってこいや」
「どうせやるなら、威勢がいいほうがいいやい」ってことになり
結局は大掛かり物となり、昨年よりも大きい「おかがり」が出来上がってしまいます。

「お~~~!今年のはでかいや」だもの・・・・・・。
前年よりも小さめのものができるのは、いつのことやら(大笑)
いい大人が集まって「わいわい、がやがや」「あ~だの、こ~だの」
実に微笑ましい一日を小正月に味わえます。本当に幸せですね。
そして「三滝祭り」が二月二十日と二十一日に行われます。

今年はなぜ二日間かというと「本祭り」は二十一日ですけど
前日の夜に「三滝の氷柱のライトアップ」を計画しています。
参道を氷のキャンドルで導き、30mの「氷柱」にライトを照らす!!
考えただけでも感動しますぞ。
そうそう、このブログを書かせていただいている「NBSさん」も
テレビ取材でこの幽玄的なライトアップをぜひカメラに収めていただきたいですね。
お待ちしております。
木の実よ
また一人、おとうが敬愛するアーティストが亡くなってしまったよ。


「浅川マキ」さんだ。
学生運動の嵐が吹きぬけた68年~72年ごろ、機動隊や公安に
追い回せれて、おとうが逃げ込んだ新宿の歌舞伎町。
この歌舞伎町を根城に活躍していたアングラの女王「浅川マキ」。
いつも全身黒ずくめで「ブルース」を唄っていた。
当時はアンダーグラウド文化が新宿あたりから生まれてきた頃で
「かもめ」って歌が少しはヒットしたかな・・・・
こういう歌も日本人は歌ってきたんだってことを学ぶ為に聞いてごらん。
2009年12月24日
故郷だより 19
前略 木の実さま
いよいよ、今年も最後になるね。
君の一年間は「おとう」の一年間に比べて、
目の回る速さで通り過ぎた「出来事」や「出会い」があったんだろうな。
「おとう」も20歳のころを振り返ってみると、
忘れてしまった事の方が多いくらいいろんなことがあったね。
今考えると、大切な何かもその時代に置き忘れて来てしまったかもしれないな。
そうなんだ、時間は想い出としてなら取り戻せるけど、過ぎた月日は取り戻せないだよ。
だから「木の実」よ、今の一日を精一杯大切に生きてください。
「今日は、今日しかないのだから」
我が北相木村は冷蔵庫から冷凍庫のような冬を迎えている。
昨日の朝はマイナス14℃までさがっていたね。

雪が少ない分、冷えてきたよ。
昨年は凍らなかった「たんぼリンク」も見事に凍り、
村の子供たちがスケートをはじめているよ。
君もずい分、あのリンクには通ったもんね。
それに今年は加和志湖も凍り始めたんだぜ。

もちろん三滝の氷も半分くらいまで伸びてきているから
今年はきっといい氷注になると思うよ。
「おとう」が20歳の頃、新宿の厚生年金ホールってのがあって
その近くに、「ユイ音楽工房」っていう事務所があったんだ。
現在の「フォーライフ」の原型だな。
当時は「吉田拓郎」「かぐや姫」が、あれよあれよと世に出て行き。
フォークブームのはじまりだったな。
「おとう」たちもそれに続け・・・・・とばかり、事務所の隣にあった
御苑スタジオってところで毎日「デモテープ」をつくっていたね。
昔はテープに録音していたのでカビや傷がついて、それらの曲が聞けなくなっていまったけど
けっこう良い曲があったはずだね。世の中には出なかったけどね。
ま、そのあとにいろいろあって30歳まではミュージシャンとしても作詞家としても
なんとか食べていられたんだから君の大先輩なわけだよ。
でも、なんで「おとう」がその道をはずして「田舎暮らし」へと進んだかは
まだ詳しい話をしていないよね。

それは、今の「木の実」にそんな話をしても仕方がないし、いまの君は
前だけ見ていればいいんだよ。と思うからだ。
ただ少しだけアドバイスをするならば・・・・・「手をぬくな」
どんな小さなこだわりにも、人が入らないライヴや納得いかない仕事でも
決して「手をぬくな」
世の中っていうところは「手をぬいた」やつには冷たいもんだよ。
「今日は、今日しかないのだから」・・・・・ね!!
この時期になるとむしょうに聞きたくなる曲があるんだ。
ちあきなおみの「黄昏のビギン」と平原綾香の「明日」
この二曲は暮れの東京の忙しさを忘れさせてくれるだな。
師走のバタバタした時間にこの曲を聞いて、自分を見つめなおしてください。 父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
いよいよ、今年も最後になるね。
君の一年間は「おとう」の一年間に比べて、
目の回る速さで通り過ぎた「出来事」や「出会い」があったんだろうな。
「おとう」も20歳のころを振り返ってみると、
忘れてしまった事の方が多いくらいいろんなことがあったね。
今考えると、大切な何かもその時代に置き忘れて来てしまったかもしれないな。
そうなんだ、時間は想い出としてなら取り戻せるけど、過ぎた月日は取り戻せないだよ。
だから「木の実」よ、今の一日を精一杯大切に生きてください。
「今日は、今日しかないのだから」
我が北相木村は冷蔵庫から冷凍庫のような冬を迎えている。
昨日の朝はマイナス14℃までさがっていたね。

雪が少ない分、冷えてきたよ。
昨年は凍らなかった「たんぼリンク」も見事に凍り、
村の子供たちがスケートをはじめているよ。
君もずい分、あのリンクには通ったもんね。
それに今年は加和志湖も凍り始めたんだぜ。

もちろん三滝の氷も半分くらいまで伸びてきているから
今年はきっといい氷注になると思うよ。
「おとう」が20歳の頃、新宿の厚生年金ホールってのがあって
その近くに、「ユイ音楽工房」っていう事務所があったんだ。
現在の「フォーライフ」の原型だな。
当時は「吉田拓郎」「かぐや姫」が、あれよあれよと世に出て行き。
フォークブームのはじまりだったな。
「おとう」たちもそれに続け・・・・・とばかり、事務所の隣にあった
御苑スタジオってところで毎日「デモテープ」をつくっていたね。
昔はテープに録音していたのでカビや傷がついて、それらの曲が聞けなくなっていまったけど
けっこう良い曲があったはずだね。世の中には出なかったけどね。
ま、そのあとにいろいろあって30歳まではミュージシャンとしても作詞家としても
なんとか食べていられたんだから君の大先輩なわけだよ。
でも、なんで「おとう」がその道をはずして「田舎暮らし」へと進んだかは
まだ詳しい話をしていないよね。

それは、今の「木の実」にそんな話をしても仕方がないし、いまの君は
前だけ見ていればいいんだよ。と思うからだ。
ただ少しだけアドバイスをするならば・・・・・「手をぬくな」
どんな小さなこだわりにも、人が入らないライヴや納得いかない仕事でも
決して「手をぬくな」
世の中っていうところは「手をぬいた」やつには冷たいもんだよ。
「今日は、今日しかないのだから」・・・・・ね!!
この時期になるとむしょうに聞きたくなる曲があるんだ。
ちあきなおみの「黄昏のビギン」と平原綾香の「明日」
この二曲は暮れの東京の忙しさを忘れさせてくれるだな。
師走のバタバタした時間にこの曲を聞いて、自分を見つめなおしてください。 父拝

峰尾勝巳
家具工房「夢屋」主宰
2009年11月01日
故郷だより 17・18
前略 木の実さま
元気で暮らしてますか
「おとう」は先月人と話すのもつらいほど
落ち込んでいました。
「おとう」がギターを弾くのも、音楽を仕事にと
選んだのも先月亡くなった「加藤和彦」さんこと
トノバンの影響でした。
とくに、とくに、「悲しくてやりきれない」を
歌いはじめると、いまでも涙がこぼれてしまう唄なんです。
中学時代に初めての彼女と多摩川の河川敷にある公園で
「今日も遠く眺め」・・真っ赤に燃える夕焼けに心のなかまで赤く燃えたこと。
友人と下手なギターをかき鳴らしながらも
「悲しくて~~悲しくて」をハモッテ歌い、感動した文化祭。
阿佐ヶ谷の駅で最後の別れに彼女が乗った中央線を
見送りながら遠くを眺め「とて~~もやりきれない」と
繰り返しホームで歌い、涙が止まらなかったこと。
「おとう」の青春挽歌なのです。
あまりにもショックで精神と身体のバランスを崩し
抵抗力を失った「おとう」は気管支炎になってしまい
もうすこし手立てが遅れたら「肺炎」になっていたそうです。
一週間は熱が38~39度を下がらず、
熱が下がっても体力が戻らず、そのあと一週間は
ごはんも食べれず、もうフラフラでした。
つくづく、人間はなにかの「つっかえ棒」がこけると
弱いもんだと考えさせられました。
いまの「おとう」の「つっかえ棒」は君をはじめ家族なんだな~~
とも改めて気付きましたよ。
「加藤和彦さん」はおそらくこの「つっかえ棒」が無かったんでしょうね
昔から「人」の字はお互いの「つっかえ棒」で成り立って「人」の字になっている、と聞きます。
あ~「トノバン」のこれからの活躍がみられない・・・・・「悲しいな」
「トノバン」に指し示してほしかった「青年は荒野を目指す」ですが
老年はどこを目指せばいいのですか・・・・・
僕らは何を目標に進めばいいのですか・・・・
残念!!もう答えてはくれませんね。
木の実よ、君がめざしている音楽という仕事、唄を表現するってことは
誰かの人生に大きく関わることなんだ。
君の歌に元気付けられたり、淋しくなったりする人がどこかにいるんだ。
この事を絶対に忘れてはいけないんだよ。
それが音楽の持つ素晴らしさでもあるし、責任でもあるんだよ。
まあ、そんなことで先月は何も書けなかったよ。
君は何を目指して進むのですか・・・・・
音楽に何をこめて表現していくのですか。 父拝
元気で暮らしてますか
「おとう」は先月人と話すのもつらいほど
落ち込んでいました。
「おとう」がギターを弾くのも、音楽を仕事にと
選んだのも先月亡くなった「加藤和彦」さんこと
トノバンの影響でした。
とくに、とくに、「悲しくてやりきれない」を
歌いはじめると、いまでも涙がこぼれてしまう唄なんです。
中学時代に初めての彼女と多摩川の河川敷にある公園で
「今日も遠く眺め」・・真っ赤に燃える夕焼けに心のなかまで赤く燃えたこと。
友人と下手なギターをかき鳴らしながらも
「悲しくて~~悲しくて」をハモッテ歌い、感動した文化祭。
阿佐ヶ谷の駅で最後の別れに彼女が乗った中央線を
見送りながら遠くを眺め「とて~~もやりきれない」と
繰り返しホームで歌い、涙が止まらなかったこと。
「おとう」の青春挽歌なのです。
あまりにもショックで精神と身体のバランスを崩し
抵抗力を失った「おとう」は気管支炎になってしまい
もうすこし手立てが遅れたら「肺炎」になっていたそうです。
一週間は熱が38~39度を下がらず、
熱が下がっても体力が戻らず、そのあと一週間は
ごはんも食べれず、もうフラフラでした。
つくづく、人間はなにかの「つっかえ棒」がこけると
弱いもんだと考えさせられました。
いまの「おとう」の「つっかえ棒」は君をはじめ家族なんだな~~
とも改めて気付きましたよ。
「加藤和彦さん」はおそらくこの「つっかえ棒」が無かったんでしょうね
昔から「人」の字はお互いの「つっかえ棒」で成り立って「人」の字になっている、と聞きます。
あ~「トノバン」のこれからの活躍がみられない・・・・・「悲しいな」
「トノバン」に指し示してほしかった「青年は荒野を目指す」ですが
老年はどこを目指せばいいのですか・・・・・
僕らは何を目標に進めばいいのですか・・・・
残念!!もう答えてはくれませんね。
木の実よ、君がめざしている音楽という仕事、唄を表現するってことは
誰かの人生に大きく関わることなんだ。
君の歌に元気付けられたり、淋しくなったりする人がどこかにいるんだ。
この事を絶対に忘れてはいけないんだよ。
それが音楽の持つ素晴らしさでもあるし、責任でもあるんだよ。
まあ、そんなことで先月は何も書けなかったよ。
君は何を目指して進むのですか・・・・・
音楽に何をこめて表現していくのですか。 父拝
2009年10月01日
故郷だより16
前略 木の実さま
いよいよ秋も深まって来ましたね。

我が北相木村は、もう朝の温度は5度まで落ちました。

君はステージ演奏を前にして、練習の繰り返しで忙しいだろうね。
でも、その緊張感が「おとう」は結構好きだったよ。
最近はとんとステージに立つ感覚は忘れてかけてしまったけどライトを浴びて、
観客の視線を痛いほど感じる・・・・・実に「良いんだよな」ま、楽しんでやってください。
十月に入ると「おとう」は56歳になり君は20歳になるんだね。
君は5日の午前2時にこの世に生まれ出てきたんだ。
夜中に「おかあ」を車にのせて病院のある小海までの山道が長く感じた事・・・・・。
夜空は雲ひとつもない満天の星で「銀河鉄道の夜」みたいだった。
「おとう」は天の川の下を安全に気を配り、ゆっくりと車を走らせたんだ。
もうあれから20年もたつのか・・・・
今夜も我が北相木村の夜空には天の川が広がっている。
君が生まれ出た、あの日みたいにね。
そうだ「おとう」が20歳になったころは
学生3割、バンド7割くらいの割合の生活をしていたな。
東京都は1月15日に成人式を執り行っていたんだけど
「おとう」は当日仕事で式なんて行けなかった。
その仕事というのは、千代田区の成人式でのアトラクションで九段会館のホールで演奏していたよ。
ステージから見える大勢の成人(同じ年)を眺めながら
「お前らとは、ちがうんだぜ」ってツッパッテいたな。
でもなぜだか「空しかった」。
仕事も終わり、帰り支度をしていると
係りの人が「バンドさんの中にも成人なされた方がいるのでは」
「おとう」は事のついでくらいに手をあげたら「おめでとう」といってお祝いの品物をいただいたんだ。
ずっしりと重い紙袋の中身はあまり覚えてはいないが一冊の「国語辞典」が入っていて、
その辞典はいまだに「おとう」は大事につかっている。
36年前の国語辞典は宝物なんだ。

20歳の思いでとしてね。
そして、その辞典から学んだ言葉をつかって50曲くらい作詞をしている。
そのうち15曲はレコードになって誰かに歌われているんだぜ。
木の実も成人する時に良い思いでに出会えたらいいな。
「おとう」から木の実へ成人のお祝いとしてキャロルキングの「YOU'VE GOT A FRIEND」を送るよ。
とは言っても目録だけどね。(笑)
是非聞いてみてくれ。 父拝
いよいよ秋も深まって来ましたね。

我が北相木村は、もう朝の温度は5度まで落ちました。

君はステージ演奏を前にして、練習の繰り返しで忙しいだろうね。
でも、その緊張感が「おとう」は結構好きだったよ。
最近はとんとステージに立つ感覚は忘れてかけてしまったけどライトを浴びて、
観客の視線を痛いほど感じる・・・・・実に「良いんだよな」ま、楽しんでやってください。
十月に入ると「おとう」は56歳になり君は20歳になるんだね。
君は5日の午前2時にこの世に生まれ出てきたんだ。
夜中に「おかあ」を車にのせて病院のある小海までの山道が長く感じた事・・・・・。
夜空は雲ひとつもない満天の星で「銀河鉄道の夜」みたいだった。
「おとう」は天の川の下を安全に気を配り、ゆっくりと車を走らせたんだ。
もうあれから20年もたつのか・・・・
今夜も我が北相木村の夜空には天の川が広がっている。
君が生まれ出た、あの日みたいにね。
そうだ「おとう」が20歳になったころは
学生3割、バンド7割くらいの割合の生活をしていたな。
東京都は1月15日に成人式を執り行っていたんだけど
「おとう」は当日仕事で式なんて行けなかった。
その仕事というのは、千代田区の成人式でのアトラクションで九段会館のホールで演奏していたよ。
ステージから見える大勢の成人(同じ年)を眺めながら
「お前らとは、ちがうんだぜ」ってツッパッテいたな。
でもなぜだか「空しかった」。
仕事も終わり、帰り支度をしていると
係りの人が「バンドさんの中にも成人なされた方がいるのでは」
「おとう」は事のついでくらいに手をあげたら「おめでとう」といってお祝いの品物をいただいたんだ。
ずっしりと重い紙袋の中身はあまり覚えてはいないが一冊の「国語辞典」が入っていて、
その辞典はいまだに「おとう」は大事につかっている。
36年前の国語辞典は宝物なんだ。

20歳の思いでとしてね。
そして、その辞典から学んだ言葉をつかって50曲くらい作詞をしている。
そのうち15曲はレコードになって誰かに歌われているんだぜ。
木の実も成人する時に良い思いでに出会えたらいいな。
「おとう」から木の実へ成人のお祝いとしてキャロルキングの「YOU'VE GOT A FRIEND」を送るよ。
とは言っても目録だけどね。(笑)
是非聞いてみてくれ。 父拝
2009年09月01日
故郷だより15
前略 木の実さま
我が北相木村の短い夏が終わります。

今年は本当に暑くならなかったな。
東京も随分涼しくなってきているだろうね。

インフルエンザが流行しているようなので充分気をつけて咽喉を大事にしてくださいね。
君は唄歌いなんだからな。
二~三日前に我が北相木村がさる番組に紹介されたんだ。
最近はこの手の「田舎紹介」みたいな番組が増えてきたんだけど
「おとう」はいつも思うんだけれど「田舎番組」って都会人が田舎にもつイメージ、
あるいは「カルチャーショック」の面白さをテーマに番組が作られていて、
普段の田舎のイメージではなくそれらに沿った番組が造られている・・・と感じるんだよね。
良いも悪いも、都会と田舎の格差を掘り出しての番組作りにはちょっと抵抗をも感じていたんだ。

しかし、今回はそうでもなく、
ありのままの田舎の「おじあん」や「おばやん」の普段着の生活模様をとらえていて、
実に北相木らしい番組だったね。
時間にして10分もないコーナーだったけど、
よく見知った人たちがごく普通に写し出されていたね。
相変わらず「社会の窓」を全開していた「おとやん」
インタビューにも「おとやん節」は最高にいかしていたよ。
都会の製作会社は自然が美しい時期の田舎にやって来て
「都会人」に「田舎はすばらしいでしょう」って紹介したり
「よそいき」の田舎暮らしを取材してるけど、
自然の厳しさや田舎暮らし辛さには蓋をしてしまう。
本当の「田舎暮らし」ではテレビ向きではないかもしれないね。
辛さや厳しさをも全部抱え込んでの「田舎暮らし」を乗り越えると
本当の「田舎暮らし」の素晴らしさが見えてくるんだけどね。
そんなのも含めて「おとやん」の一つ一つの言葉は「いかしていた!!」
本物の「田舎人」だな。「おとう」はまだまだな。
「おとう」が高校生の頃(いまでも)尊敬している
岡林信康氏の唄の中に「オイラいちぬけた」っていうのがある。
40年前に「田舎と都会」の関係を歌った名曲だ。
岡林氏はどこまで解っていたのかはしらないが、
実にうまい表現でいい歌だ。
たまに「おとう」も「いちぬけた」って言いたい時もあるんだぜ。
子育てにも生活にもね。 父拝
我が北相木村の短い夏が終わります。

今年は本当に暑くならなかったな。
東京も随分涼しくなってきているだろうね。

インフルエンザが流行しているようなので充分気をつけて咽喉を大事にしてくださいね。
君は唄歌いなんだからな。
二~三日前に我が北相木村がさる番組に紹介されたんだ。
最近はこの手の「田舎紹介」みたいな番組が増えてきたんだけど
「おとう」はいつも思うんだけれど「田舎番組」って都会人が田舎にもつイメージ、
あるいは「カルチャーショック」の面白さをテーマに番組が作られていて、
普段の田舎のイメージではなくそれらに沿った番組が造られている・・・と感じるんだよね。
良いも悪いも、都会と田舎の格差を掘り出しての番組作りにはちょっと抵抗をも感じていたんだ。

しかし、今回はそうでもなく、
ありのままの田舎の「おじあん」や「おばやん」の普段着の生活模様をとらえていて、
実に北相木らしい番組だったね。
時間にして10分もないコーナーだったけど、
よく見知った人たちがごく普通に写し出されていたね。
相変わらず「社会の窓」を全開していた「おとやん」
インタビューにも「おとやん節」は最高にいかしていたよ。
都会の製作会社は自然が美しい時期の田舎にやって来て
「都会人」に「田舎はすばらしいでしょう」って紹介したり
「よそいき」の田舎暮らしを取材してるけど、
自然の厳しさや田舎暮らし辛さには蓋をしてしまう。
本当の「田舎暮らし」ではテレビ向きではないかもしれないね。
辛さや厳しさをも全部抱え込んでの「田舎暮らし」を乗り越えると
本当の「田舎暮らし」の素晴らしさが見えてくるんだけどね。
そんなのも含めて「おとやん」の一つ一つの言葉は「いかしていた!!」
本物の「田舎人」だな。「おとう」はまだまだな。
「おとう」が高校生の頃(いまでも)尊敬している
岡林信康氏の唄の中に「オイラいちぬけた」っていうのがある。
40年前に「田舎と都会」の関係を歌った名曲だ。
岡林氏はどこまで解っていたのかはしらないが、
実にうまい表現でいい歌だ。
たまに「おとう」も「いちぬけた」って言いたい時もあるんだぜ。
子育てにも生活にもね。 父拝
2009年08月01日
故郷だより14
前略 木の実さま

夏晴れがない日々が続いていますが東京はものすごく蒸しているだろうな。
「おとう」は二台目の台扇風機をかって夏に備えているがいっこうに暑くならない。
せっかくだからと扇風機を回すと「寒い!!」と苦情がでる。
なんとか役にたってもらわないと無駄買いになってしまうな。
とにかく、いまだに涼しい北相木だ。
良いか悪いかはわからないが蜂も少ないし、ブヨにもまだ刺されていない。

今年もお祭り騒ぎの東京からは帰って来ないと思うけど故郷のお祭りも良いもんだぞ。
小海祇園の屋台や花火。

それから8月14日の我が村の「長者の森祭り」では
久々に野外ステージを使い地元のショータイムが開かれるんだ。
ゲストも東京の高校生50人???
編成の吹奏楽部が出演してくれるし
「おとう」が作った「長者の森・携帯ストラップ」の無料配布もある。

昔からお金持ちを「長者様」と言って我が北相木の長者が集う森・・・・・らしい・・・かな。
とにかく「おとう」の作った「お札」を身につけていると、いいことがあるかもよ・・・。(笑)
そのほかにも地元でとれたての野菜の販売や
おそば・ソーセージ・かき氷・スイカなどなどいろいろな企画もある。
そして恒例の「マスつかみ大会」も昼過ぎから始まる。

まあ、この時はどこにこれだけの人が居たんだろうと思うくらい、川に人が集まる。
マスと人間とのバトルも見ものだよ。
そして次の日は我が白岩地区の盆踊り大会だ。
ことしも盛大に人が集まり賑やかな一日となるだろう。
このお祭りが過ぎたとたんに夏が終わる。
空は高くなり、山は盛夏を過ぎ眠りの準備にはいる。
風は秋の景色を駆け巡り、冬の訪れを生き物に告げ始める。
「おとう」は山に入り、薪を切り出す。本当に一年が早いな・・・・。
そして、10月になれば君は20歳になる。
「おとう」が北相木村に暮らし始めて23回目の夏なんだな。
今日は久しぶりに「天国への階段」がききたくなった。
「おとう」が17歳の頃、武道館で聞いた時はぶったまげたなあ。 父拝

夏晴れがない日々が続いていますが東京はものすごく蒸しているだろうな。
「おとう」は二台目の台扇風機をかって夏に備えているがいっこうに暑くならない。
せっかくだからと扇風機を回すと「寒い!!」と苦情がでる。
なんとか役にたってもらわないと無駄買いになってしまうな。
とにかく、いまだに涼しい北相木だ。
良いか悪いかはわからないが蜂も少ないし、ブヨにもまだ刺されていない。

今年もお祭り騒ぎの東京からは帰って来ないと思うけど故郷のお祭りも良いもんだぞ。
小海祇園の屋台や花火。

それから8月14日の我が村の「長者の森祭り」では
久々に野外ステージを使い地元のショータイムが開かれるんだ。
ゲストも東京の高校生50人???
編成の吹奏楽部が出演してくれるし
「おとう」が作った「長者の森・携帯ストラップ」の無料配布もある。

昔からお金持ちを「長者様」と言って我が北相木の長者が集う森・・・・・らしい・・・かな。
とにかく「おとう」の作った「お札」を身につけていると、いいことがあるかもよ・・・。(笑)
そのほかにも地元でとれたての野菜の販売や
おそば・ソーセージ・かき氷・スイカなどなどいろいろな企画もある。
そして恒例の「マスつかみ大会」も昼過ぎから始まる。

まあ、この時はどこにこれだけの人が居たんだろうと思うくらい、川に人が集まる。
マスと人間とのバトルも見ものだよ。
そして次の日は我が白岩地区の盆踊り大会だ。
ことしも盛大に人が集まり賑やかな一日となるだろう。
このお祭りが過ぎたとたんに夏が終わる。
空は高くなり、山は盛夏を過ぎ眠りの準備にはいる。
風は秋の景色を駆け巡り、冬の訪れを生き物に告げ始める。
「おとう」は山に入り、薪を切り出す。本当に一年が早いな・・・・。
そして、10月になれば君は20歳になる。
「おとう」が北相木村に暮らし始めて23回目の夏なんだな。
今日は久しぶりに「天国への階段」がききたくなった。
「おとう」が17歳の頃、武道館で聞いた時はぶったまげたなあ。 父拝
2009年07月01日
故郷だより13
前略 木の実さま
梅雨入りした東京は、さぞ蒸し暑いだろうね。
「おとう」が下北沢でぶっ倒れそうになって、
ギンギンにエアコンの効いた銀行へ逃げ込んだのも、この梅雨の東京だった。
今で言う「熱中症」ってやつだったんだろうな。
それからは夏の東京には、極力行かないようにしているんだ。
北相木育ちの君は大丈夫かね・・・・・。

木の実も覚えていると思うけど「陸郎さん」が亡くなったんだ。
春からこの次期になると「おじあん、あばやん」が大木が倒れるようにこの世を去っていく。
「おとう」がこの北相木村に暮らし始めて、
何人をあの世に見送ったろうかもう両手、両足では数え切れないくらいだな。
山での暮らし方を教えてくれた「おじあん」。

畑仕事を学んだ「おばやん」田舎で生きて行く為の「作法」を伝授してくれた多くの達人たち・・・・。

もう教えをうかがうことが出来ないんだ。
だから「おとう」たちは、今は元気でいる「お年寄り」から、まだまだ沢山のことを学ばなくてはいけない。
時間はそんなにはないんだよ。
しかし、問題がある。その「技」を誰に伝えていけばいいのか・・・・。

誰にバトンを渡していけばいいのか・・・・答えは見つからない。
「過疎」になることは人工が減り寂しくなってしまうことより、
その人たちが守ってきた日本人の「英知」を失うことがなによりも残念なことなんだよ。
何百年もの間受け継がれてきた文化が、ここで途切れてしまう悲しさがあるんだ。
このブログを書き始めて、一年が過ぎたということは君は一年もの間、東京で暮らしている。
今はまさに東京の素晴らしさ、輝かしさ・・・
そして躍動感に身も心も奪われていると思うが、
本当の東京の「光と影」しかも強烈にコントラストがきつい「光と影」をまだ経験はしていないだろう・・。
親としてはあまり経験しては欲しくないことだけど、
君の人生にとっては「まあ、これも経験!!」ってことなのかな。
「おとう」はさんざんその中でもまれ、「酸いも甘いも」知り尽くし、
ああ「東京は・・・」って気持ちが浮かんで、「田舎暮らし」をはじめたんだ。
そうだ!!「おとう」だって30歳までは
その東京で何とかなっていたんだから、木の実にもできるよな。
しかし、何かに潰されそうになったり、
行き先を見失ったら「おとう」が必ず助けてあげるからな。
だって「おとう」はお前の東京暮らしの大先輩だからね。
マイケルが逝ってしまったね。
彼の凄さは「音楽を映像で見せた」ことなんだよ。
いまではPVは当たり前でむしろ、
音楽よりも映像にちからを入れているところがあるけど
彼の造った「音楽映像」は素晴らしいな。
今年は清志郎が逝って、今度はマイケルかよ・・・あの世の方が楽しそうだな。 父拝
梅雨入りした東京は、さぞ蒸し暑いだろうね。
「おとう」が下北沢でぶっ倒れそうになって、
ギンギンにエアコンの効いた銀行へ逃げ込んだのも、この梅雨の東京だった。
今で言う「熱中症」ってやつだったんだろうな。
それからは夏の東京には、極力行かないようにしているんだ。
北相木育ちの君は大丈夫かね・・・・・。

木の実も覚えていると思うけど「陸郎さん」が亡くなったんだ。
春からこの次期になると「おじあん、あばやん」が大木が倒れるようにこの世を去っていく。
「おとう」がこの北相木村に暮らし始めて、
何人をあの世に見送ったろうかもう両手、両足では数え切れないくらいだな。
山での暮らし方を教えてくれた「おじあん」。

畑仕事を学んだ「おばやん」田舎で生きて行く為の「作法」を伝授してくれた多くの達人たち・・・・。

もう教えをうかがうことが出来ないんだ。
だから「おとう」たちは、今は元気でいる「お年寄り」から、まだまだ沢山のことを学ばなくてはいけない。
時間はそんなにはないんだよ。
しかし、問題がある。その「技」を誰に伝えていけばいいのか・・・・。

誰にバトンを渡していけばいいのか・・・・答えは見つからない。
「過疎」になることは人工が減り寂しくなってしまうことより、
その人たちが守ってきた日本人の「英知」を失うことがなによりも残念なことなんだよ。
何百年もの間受け継がれてきた文化が、ここで途切れてしまう悲しさがあるんだ。
このブログを書き始めて、一年が過ぎたということは君は一年もの間、東京で暮らしている。
今はまさに東京の素晴らしさ、輝かしさ・・・
そして躍動感に身も心も奪われていると思うが、
本当の東京の「光と影」しかも強烈にコントラストがきつい「光と影」をまだ経験はしていないだろう・・。
親としてはあまり経験しては欲しくないことだけど、
君の人生にとっては「まあ、これも経験!!」ってことなのかな。
「おとう」はさんざんその中でもまれ、「酸いも甘いも」知り尽くし、
ああ「東京は・・・」って気持ちが浮かんで、「田舎暮らし」をはじめたんだ。
そうだ!!「おとう」だって30歳までは
その東京で何とかなっていたんだから、木の実にもできるよな。
しかし、何かに潰されそうになったり、
行き先を見失ったら「おとう」が必ず助けてあげるからな。
だって「おとう」はお前の東京暮らしの大先輩だからね。
マイケルが逝ってしまったね。
彼の凄さは「音楽を映像で見せた」ことなんだよ。
いまではPVは当たり前でむしろ、
音楽よりも映像にちからを入れているところがあるけど
彼の造った「音楽映像」は素晴らしいな。
今年は清志郎が逝って、今度はマイケルかよ・・・あの世の方が楽しそうだな。 父拝
2009年06月01日
故郷だより12
前略 木の実さま
我が北相木村は一年で一番素晴らしい季節がやってきています。
新しい緑の息吹を身体いっぱいに詰め込んでいるよ。
これからの一ヶ月の間に身体の中身が入れ替わるくらい深呼吸をしています。
青い空、白い雲、緑の山・・・・北相木村は本当に素晴らしいな。

木の実よ、しかしとても悲しく残念な気持ちでこの素晴らしい季節を
迎えなくてはいけないんだ。

君もよく知っていると思うけど「RC」の清志朗があの世に逝ってしまった。
彼は同じ世代、同じエリア、同じ志をもっている地元のロック仲間で
高校一年のおとうがバンドをつくって地域の文化祭やコンサートに出始めた頃
清志朗は高校三年生で地元でというか、
もうすでにレコードやテレビにも顔が売れ始めていて
あの時代のヒーローにのし上がっていたな。
おとうが音楽で「飯」を食えるようになった20歳のころには「RC」は日本のロック界の
大スターになっていたよ。
彼の唄心の中身がおとう達のエリアの青春と時代に重なり、共感というよりも
胴体のハートが彼とおとうを結び付けていた。
学生運動・平和集会・アメリカ基地・そして自由な感性・・・・愛
彼の唄がみんな代弁してくれていたんだ。
「ジョンレノン」が暗殺された時よりも、「緒方拳」が亡くなったときよりも、
おとうは落ち込んでいるんだ。
もうあの「スローバラード」を聞く事ができないんだ。
木の実よ、お前も唄をうたう人間を目指すなら、心を磨けよ。
曇った心では人のこころには花が咲かないからな。

今回は弱いおとうになってしまったけど、
おとうだって泣きたい時はあるんだ。
しかし、めそめそはしないぜ!!
「うわ~~~」と大声で泣き崩れるんだ。
それが男泣きってもんよ。
木の実よ、今夜はおとうの変わりに「スローバラード」を聞いてくれよな。
本当に良い唄なんだぜ。 父拝
我が北相木村は一年で一番素晴らしい季節がやってきています。
新しい緑の息吹を身体いっぱいに詰め込んでいるよ。
これからの一ヶ月の間に身体の中身が入れ替わるくらい深呼吸をしています。
青い空、白い雲、緑の山・・・・北相木村は本当に素晴らしいな。

木の実よ、しかしとても悲しく残念な気持ちでこの素晴らしい季節を
迎えなくてはいけないんだ。

君もよく知っていると思うけど「RC」の清志朗があの世に逝ってしまった。
彼は同じ世代、同じエリア、同じ志をもっている地元のロック仲間で
高校一年のおとうがバンドをつくって地域の文化祭やコンサートに出始めた頃
清志朗は高校三年生で地元でというか、
もうすでにレコードやテレビにも顔が売れ始めていて
あの時代のヒーローにのし上がっていたな。
おとうが音楽で「飯」を食えるようになった20歳のころには「RC」は日本のロック界の
大スターになっていたよ。
彼の唄心の中身がおとう達のエリアの青春と時代に重なり、共感というよりも
胴体のハートが彼とおとうを結び付けていた。
学生運動・平和集会・アメリカ基地・そして自由な感性・・・・愛
彼の唄がみんな代弁してくれていたんだ。
「ジョンレノン」が暗殺された時よりも、「緒方拳」が亡くなったときよりも、
おとうは落ち込んでいるんだ。
もうあの「スローバラード」を聞く事ができないんだ。
木の実よ、お前も唄をうたう人間を目指すなら、心を磨けよ。
曇った心では人のこころには花が咲かないからな。

今回は弱いおとうになってしまったけど、
おとうだって泣きたい時はあるんだ。
しかし、めそめそはしないぜ!!
「うわ~~~」と大声で泣き崩れるんだ。
それが男泣きってもんよ。
木の実よ、今夜はおとうの変わりに「スローバラード」を聞いてくれよな。
本当に良い唄なんだぜ。 父拝
2009年05月01日
故郷だより11
前略 木の実さま
我が北相木村はようやく、桜の季節を迎えました。

もう東京では葉桜で新緑の季節になっていると思うけどね。
木の実、「桜」といえば「花見」・・「花見」といえば・・宴会だよな。
今年の白岩地区の花見は五月三日に決まった。
この日付けを決めるにも、みんなが集まって情報を集め何所そこの、
桜が咲いたから、後二~三日で白岩の桜が咲くだろう・・・いいや、
今年は「ぬくていから」明日には咲き始める!!
大の大人が集まって真剣に「花見」の日付をきめている。
なんとまあ・・・日本人らしいというか、純朴というか・・・実に素晴らしい。
だから「おとう」はこの基本的な日本人らしさを保っている「田舎人」が好きなんだ。
女衆だって大変だ。
日にちが決まらなければ宴会料理の準備に支障が出てきてしまう。
山のうどやタラノ芽などの山菜をいつ取りに行くか、
酒のつまみや料理はいつ頃から仕込めばいいのか・・・
これまた真剣に協議に聞き耳をたてている。
都会で派手に騒いでいる「花見」は何所そこのデリバリーのピザや仕出し弁当をつまみに、
カラオケを持ち込み、群集がただ酒に酔い、ゴミや騒音を撒き散らす騒動だ。
これでは日本人が受け継いできた「自然を詣でる」という慣わしや
桜の花のもつ「はかなさ」とは無縁の「花見」である。
非常に残念と共に情けない「都会人」が目に付いてしまう。
昔の東京人は嘆いているだろうな。
東京の「花見」の風情はもう落語でしか体験できないのかね。
それに比べ、我が村の各家の女衆が手によりをかけて
作り上げた「宴会料理」をみんなでつまみあい、酒を交わす。
花びらがはらりと舞い降りてきて杯に浮かぶ。
日本人に生まれてよかったな~とつくづく感じる。
酔いが回れば手拍子で白岩や北相木村に古くから伝わる唱が始まる。
さすがに「おとう」も年寄り達が嬉しそうに歌うこれらの曲は良くわからないな。
だけど、雰囲気は充分に伝わるし、気持ちも温まってくる。
どうだ!!なつかしいだろ。
りょうこ先生のつくる饅頭を今年もタラフク食べまくるぞ!うらやましいだろ。
そうそう、恒例の「白岩区・歩け歩け」(地区の遠足)で戸隠神社に参って来たんだけど
あそこには樹齢500年以上の杉の大木が立ち並んでいるんだぜ。

人間なんて「足元の元」にも届かないはるか天空までも真っ直ぐに立ち尽くしている大木だらけ!!
「おとう」は必死に抱きついてきたけど(抱きつくというより、
張り付く)ほんのり暖かくて、優しい木肌だった。
やはり自然っていうものは「すげえな」ってつくづく感じたね。
我が村にはカラマツが沢山植林されていて、
これからのカラマツの新緑はキレイだが500年以上もの寿命は残念ながらないだろう・・・・・
まっ結果は見られないけどね。

今日の夕方、仕事疲れの心に「マイルス」を聞いたら、ふ~っと気が楽になったよ。
「マイルス」のトランペットは都会でも山でも、そこの空気の中にみごとに溶け込んでしまうんだな。
「JAZZ」はいいぞ!!流行歌ばかりを聴き流しても肥やしにはならない。
音楽のルーツをしっかりつかまないと、深みのある歌は歌えないぞ。 父拝
我が北相木村はようやく、桜の季節を迎えました。

もう東京では葉桜で新緑の季節になっていると思うけどね。
木の実、「桜」といえば「花見」・・「花見」といえば・・宴会だよな。
今年の白岩地区の花見は五月三日に決まった。
この日付けを決めるにも、みんなが集まって情報を集め何所そこの、
桜が咲いたから、後二~三日で白岩の桜が咲くだろう・・・いいや、
今年は「ぬくていから」明日には咲き始める!!
大の大人が集まって真剣に「花見」の日付をきめている。
なんとまあ・・・日本人らしいというか、純朴というか・・・実に素晴らしい。
だから「おとう」はこの基本的な日本人らしさを保っている「田舎人」が好きなんだ。
女衆だって大変だ。
日にちが決まらなければ宴会料理の準備に支障が出てきてしまう。
山のうどやタラノ芽などの山菜をいつ取りに行くか、
酒のつまみや料理はいつ頃から仕込めばいいのか・・・
これまた真剣に協議に聞き耳をたてている。
都会で派手に騒いでいる「花見」は何所そこのデリバリーのピザや仕出し弁当をつまみに、
カラオケを持ち込み、群集がただ酒に酔い、ゴミや騒音を撒き散らす騒動だ。
これでは日本人が受け継いできた「自然を詣でる」という慣わしや
桜の花のもつ「はかなさ」とは無縁の「花見」である。
非常に残念と共に情けない「都会人」が目に付いてしまう。
昔の東京人は嘆いているだろうな。
東京の「花見」の風情はもう落語でしか体験できないのかね。
それに比べ、我が村の各家の女衆が手によりをかけて
作り上げた「宴会料理」をみんなでつまみあい、酒を交わす。
花びらがはらりと舞い降りてきて杯に浮かぶ。
日本人に生まれてよかったな~とつくづく感じる。
酔いが回れば手拍子で白岩や北相木村に古くから伝わる唱が始まる。
さすがに「おとう」も年寄り達が嬉しそうに歌うこれらの曲は良くわからないな。
だけど、雰囲気は充分に伝わるし、気持ちも温まってくる。
どうだ!!なつかしいだろ。
りょうこ先生のつくる饅頭を今年もタラフク食べまくるぞ!うらやましいだろ。
そうそう、恒例の「白岩区・歩け歩け」(地区の遠足)で戸隠神社に参って来たんだけど
あそこには樹齢500年以上の杉の大木が立ち並んでいるんだぜ。

人間なんて「足元の元」にも届かないはるか天空までも真っ直ぐに立ち尽くしている大木だらけ!!
「おとう」は必死に抱きついてきたけど(抱きつくというより、
張り付く)ほんのり暖かくて、優しい木肌だった。
やはり自然っていうものは「すげえな」ってつくづく感じたね。
我が村にはカラマツが沢山植林されていて、
これからのカラマツの新緑はキレイだが500年以上もの寿命は残念ながらないだろう・・・・・
まっ結果は見られないけどね。

今日の夕方、仕事疲れの心に「マイルス」を聞いたら、ふ~っと気が楽になったよ。
「マイルス」のトランペットは都会でも山でも、そこの空気の中にみごとに溶け込んでしまうんだな。
「JAZZ」はいいぞ!!流行歌ばかりを聴き流しても肥やしにはならない。
音楽のルーツをしっかりつかまないと、深みのある歌は歌えないぞ。 父拝
2009年04月01日
故郷だより10

前略 木の実さま
元気に東京の春を満喫していますか上野の桜もほぼ満開の様子、
人々の顔にもようやく春が訪れた柔らかさが感じ取れるでしょうね。
しかしながら、我が北相木村は四月に入ったとたん
この雪ですからまだまだ心和む季節はおあづけです。
ま、遅い春を静かに待ちましょう。
木の実よ、東京じゃ、あの「東京タワー」に変わるタワーを造るらしいな。
歴史的な建造物を建て替え「未来都市」へ向けて舵をきりだしたけどそれでいいのかい。
都民は納得いっているのかい。
原宿と恵比寿にあった、あの「同潤会アパート」だってそうだ。
震災後にヨーロッパの集合住宅を手本にした我が国最初の公団住宅で80年近くの間、
彼の地に文化の担いでを育てた昭和を代表する建物だ。
これも壊しちまって「高層ビル」をぶったててしまった。
下町も変わった。
「ウォーターフロント」とか言って横文字のビルを煙突みたいに並べ立てて、
空からみりゃありゃでっかいボーリングのピンだぜ。
どでかい風が吹き込めばみんななぎ倒されそうだ。
ついそこまであった「良き昭和の時代」が東京から消えてしまっている。
どうしちまったんだろうね東京は・・・・・。
ヨーロッパがなんで世界から尊敬され、人々が集まるのか考えてみると、
それは、古きよき時代やよき建物、文化を大切にしている国が多いからだ。
先人達が築いた歴史を尊敬し学んでいるからだ・・・・・そして大事に保存してきている。
なんでもかんでも「ぶっこわし」高層ビルや道路、町並みも文化も関係なく変えてしまう東京。
いったい誰がそんなことを望んでいるのか不思議でならない。
もう東京ってところは「暮らす」って事をやめて、仕事や遊びだけの町になっちまうのかな。
アメリカのラスベガスみたいにさ。
それでも「おとう」の故郷は東京なんだ。昭和の東京なんだ。
なんだかとても悲しい思いになっちまうぜ。
ちあきなおみが歌っている「黄昏のビギン」がしっくりはまる東京なんだ。
世の中、変わって良いものと、変わらなくても良いものがあるはずなんだ。
我が村では「百年を超えた樹木」が沢山ある。
道路の拡張や建物をつくるときにまず切らずに人間の都合を後回しにする。
百年も変わらずにそこに存在しているものには
人間規模ではあらわせない地球規模の理由があるからだ。
我が国も「エコ、エコ」という前にそこのところあたりから反省していかなければ
本当の地球循環なんてことにはおいついていかないはずだ。
ああ・・・また難しい話を解ったようにしてしまったな。
おとうもこれがなければ「いいひとだね」ですむんだけどな。
1968年、アルバイト(バンドマン)をして
やっと買えた「F・ジャズベース」もうこの名機もあまりみられなくなったらしい。
40年以上の付き合いの楽器だ。変わらずに当時の音を奏でてくれる。
これだけは俺の棺おけに入れてくれ(笑)
なんだか今夜は「イージーライダー」の気分で車でぶっ飛ばしたいな。
木の実よ、音楽を目指すのなら新しいものがすべていいとは限らないぞ。 父拝